ドン・カーター:ボウリングの伝説的選手の経歴と功績
年間最優秀ボウラーに6回選ばれ、PBAの初代会長を務め、アスリートとして初めて100万ドルのスポンサー契約を結んだドン・カーター。その経歴、ひじを曲げた独特の投球フォーム、そして殿堂での位置づけをご紹介します。
ドン・カーターとは
ドン・カーター(1926~2012年)は、ミズーリ州セントルイス出身のアメリカのボウラーで、1950年代から1960年代にかけて、この競技で最もよく知られた名前の一人でした。右投げの彼は年間最優秀ボウラーに6回選ばれ、プロボウラーズ協会(PBA)の創設メンバーであり初代会長を務めました。さらに1964年にはエボナイト社とスポンサー契約を結びました。この契約は、あらゆるスポーツを通じて、アスリートが結んだ単独のスポンサー契約として初めて100万ドルに達したものとされています。
カーター以後のボウリングの歩みは、アール・アンソニーの紹介記事でご覧いただけます。
独特の投球フォーム:曲げたひじ
カーターのスタイルは一目でわかるものでした。ほとんどのボウラーはリリースの前のバックスイングで腕をまっすぐ伸ばしますが、カーターはひじを曲げたまま、腕を完全に伸ばすことはありませんでした。教科書どおりではありませんでしたが、彼はそのフォームで長年勝ち続けました。
タイトルと受賞歴
ドン・カーターは年間最優秀ボウラーに6回選ばれており、1962年には全米ボウリング記者協会からも選出されています。主なタイトルは次のとおりです。
- ボウリング場経営者協会オールスターで4回優勝(1953年、1954年、1957年、1958年)。この大会は1971年から全米オープンと呼ばれています
- ワールド・インビテーショナルで5回優勝(1957~1962年)
- アメリカン・ボウリング・コングレス・マスターズで優勝(1961年)
- PBAツアーで7勝、うち2勝はメジャー
PBA初代会長
プロボウラーズ協会は1958年、オハイオ州アクロンの弁護士でスポーツエージェントのエディ・イライアスの呼びかけで設立されました。ドン・カーターは創設メンバーの一人で、PBAの初代会長を4年間務めました。1962年からはアメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーがテレビで「プロフェッショナル・ボウラーズ・ツアー」を放送し、この番組は数十年にわたり、アメリカの土曜午後のテレビの定番となりました。
100万ドルのスポンサー契約
1964年、カーターはボウリングボールメーカーのエボナイトとスポンサー契約を結びました。あらゆるスポーツを通じて、アスリートが単独のスポンサー契約で100万ドルを得たのはこれが初めてとされています。この契約は、当時のアメリカでボウリングとそのスター選手がどれほど人気を集めていたかを物語っています。
テレビで見るボウリング
カーターは、「ボウリング・スターズ」、「チャンピオンシップ・ボウリング」、「ジャックポット・ボウリング」、「メイク・ザット・スペア」などのテレビ番組に定期的に出演していました。
殿堂入りと功績
カーターは1970年にアメリカン・ボウリング・コングレスの殿堂(現在のUSBC殿堂)入りを果たし、1975年にはPBA殿堂の最初のメンバーの一人となりました。1970年に『ボウリング・マガジン』が行った投票では、史上最高のボウラーに選ばれています。
ドン・カーターは2012年1月、マイアミで85歳で亡くなりました。彼のキャリアは、ボウリングで成功する方法は一つではないことを示しています。ひじを曲げた投球フォームは教科書から外れていましたが、それでも結果を出しました。